本当の想いには形が伴うもの

ヒトにはさまざまな想いがあります。

 

それは愛情であったり、

 

夢、希望であったり、

 

もちろん想いにはネガティヴなものまでがあります。

 

ヒトが抱えるネガティヴな感情はそのヒト自身を蝕むものですから

 

あまりその想いにしがみついたり、追求しないことが身のためです。

 

もし、ネガティヴな想いが大きくなってきたら

 

それを持っていることを否定したり、

 

無理に蓋をするのではなく、

 

「ああ、自分にはこんな感情もあるのだ」と認めて

 

あとはただそのままに放っておけばいいだけです。

 

そうしてネガティヴな感情を開放します。

 

 

では愛、夢、希望などのポジティヴな想いはどう扱うのでしょうか。

 

ヒトが心に抱く良い感情をそっと仕舞っていたり、

 

また他のヒトの想いを察するということは多々あります。

 

特にこの“察する”という感性は非常に柔らかで洗練された心が捉えるものです。

 

日本人は特にこういった想いを密やかに携えることを美徳とするところのある

 

高度な心の在り方を知っていますね。

 

このように控えるという美徳と共に大切にされるべきは

 

想いを形にして現すということでもあります。

 

こう言うと矛盾するようですが、これは一つの想念が育ち、実っていくプロセスなのです。

 

 

ヒトの中であるとき想いが生まれます。

 

それは心の中で育っていきます。

 

そして、あるとき形として表現されるのです。

 

たとえば

 

「お母さんいつもありがとう」という言葉として形になるのかもしれませんし、

 

夫の好物を食卓に並べることかもしれません。

 

また、サッカー選手に憧れる男の子が少年サッカーチームに入って

 

サッカーを始めることで夢や希望を形にし始めるのかもしれません。

 

 

特に愛や感謝を伴う想いは、

 

それに対する行動があり、形にして表現するということがなければ本当にはなりません。

 

感謝や愛は、ありがとうございますという言葉や

 

心のこもった贈り物や、

 

その相手に役立つ良い情報や手助けなどで表現されるのです。

 

このような想いに伴う形の表現の根源となるのが、

 

日本古来からの神への参拝であったり、

 

神棚に毎日手を合わせるということなのでしょう。

 

愛と感謝を形にすることは、

 

私たち日本人のDNAレベルにそのように記憶されているのかもしれませんよ。

 

 

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